忙しさにますます磨きがかかっております。詩や小説はもちろん、エッセイ的な文章ですら書けない状況です。だから、短い文章にかけるしかないのです。
昨日、自転車で相模川の川べりを走っていました。茅ヶ崎は自転車の街で、街のすみずみまで自転車で行くことができて、まるでどこまでも行けると思わせてくれる気持ちの良い街です。海に行けば、海も空も広く開放的です。
相模川は茅ヶ崎の西端、平塚との境界線という側面があります。人が誰もいない時間でした。ゆるやかに流れる川のところどころに、菜の花が咲いていました。
都市河川のほとんどは、水害対策から傾斜を減らしたまっすぐな流れにし、水量を抑えることで浅い川にしてしまっています。だから、すぐ土がむき出しになる場所ができてしまう。そこに菜の花が咲いていたのです。まるで、菜の花を乗せた川に見えて、なんだか不思議な小世界でした。
ああ、今は春なんだな、と季節を思い出させてくれたり、自然の風物に心動かされる自分を再発見できた時間だったのです。
数週間にわたって音信不通でした。すみませぬ。
職場が茅ヶ崎なので、そちらに引っ越したものの、準備という準備もせずに飛び込んだものだから、インターネットの回線を引くのに時間がかかってしまい、今にいたります。
やっと落ち着いてきた、と言いたいところですが、そうもいかないのが現状です。
覚えること、やらなきゃいけないこと、とかく直面している物事があまりにも多すぎて、てんてこまいな毎日を送っています。
一日でも早く、安定した日常が送れるように頑張っていきたいと思います。
右と左
冷たさを知るということは
温かさを知ること。
人々の思惑が交差するところに
ゲノムがある。
交錯した複数形の自己に、
合わせ鏡が割れる。
音も無く
見えない言語を瞳にテロップさせて
大嫌いな奴に好きって言ってやる。
雨を待っていた
雨が降る
細い雨がまんべんに
無数の針が夜から現れ
傘が、全身が、
台無しに
何のために急ぐのか
立ち止まって考える必要が
つまり
一つの悲壮感が電車に乗ったのだ
最近、詩が書けない。詩的現実や詩語が湧いて出てこない、というのが感触なのだが、これはインプットが足りないからかもしれない。
詩に限らず、小説においても同じと思うのだが、読まないと書くことができない。詩を読んでいて、不意に詩を閃くことがあれば、小説を読んでいて、こういう小説を書きたいというイメージが生まれてきたりする。
模倣とは少し違うと感じているのだが、正確なところはわからない。ただ、読むことと考えることはつながっていて、詩を読むことは詩を考えることであって詩を書くことにつながってくると思っている。それは今までもあったことだし、これからもあることだと思っている。
まず、詩について考える時間を確保することが必要ということはわかっているものの
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